三国志 第六巻


吉川英治


三国志(6)(吉川英治歴史時代文庫 38)

三国志(6)(吉川英治歴史時代文庫 38)




 劉備玄徳、未だ領土を持たず。
 しかし、彼の周りには人が集まる。


 よく言うには、
  曹操は天の時を、孫権は地の利を、そして劉備は人の和を得たと。




 集う、人たちの物語。




<第六巻の(kanjin78的)名場面>


 錦馬超。謀士賈詡の計により、窮地に陥る。
 彼は闘う、己自身と。



「ここで立往生を遂げるくらいなら、もう一度、最後の猛突破を試み、首尾よく重囲を斬り破れば、一方へ拠って再挙を計ろう。またもしそれも成らずに斃れるまでも、ここで満身に矢をうけて空しく死ぬよりまだ増しだぞ」
残る面々をうち励まして、わうっと、猛牛が火を負って狂うように、馬超はふたたび橋上を駆け出した。
「つづけ」
「離れるな」
と、馬超の将士四、五十人も死物狂いに突貫した。人、人を踏み、馬、馬を踏み、曹軍の一角は、血を煙らせて、わっと分れる。
けれど、馬超に従う面々は、随処にその姿を没し、彼はいつか、ただ一騎となっていた。
「近づいてみろ。この命のあらん限りは」
槍は折れたので、とうに投げ捨てている。敵の矛を奪って薙ぎ、敵の弩弓を取って、撲りつけ、馬も人も、さらがら朱で描いた鬼神そのものだった。
 ---が、いくら馬超でも、その精力には限界がある。もうだめだと、ふと思った。
(もう駄目)
それをふと、自分の心に出した時が、人生の難関は、いつもそこが最後となる。

「くそっ、まだ、息はある」
馬超は気づいて、自分の弱音を叱咤した。




 その人、背が低く、鼻はひしげ、歯は出っ歯で、額は青龍刀みたいに広く生えぎわがてらてらしているという。
 蜀人、張松これにあり。 曹操に一言、物も〜〜す!



張松とやら。いま汝は、蜀は仁政を以て治めるゆえ、兵馬の強大は要らんとか申したが、もし曹操が西蜀を望み、この士馬精鋭をもって押しよせたときは如何。蜀人みな鼠の如く、逃げ潜む術でも自慢するか」
「はははは。何を仰せられる」
張松は口を曲げて答えた。
「聞説。魏の丞相曹操は、むかし濮陽に呂布を攻めて呂布にもてあそばれ、宛城に張繍と戦うて敗走し、また赤壁周瑜を恐れ、華容に関羽に遭って泣訴して命を助かり、なおなお、近くは渭水潼関の合戦に、髯を切り、戦袍を捨てて辛くも逃げのがれ給いしとか。さるご名誉を持つ幕下の将士とあれば、たとい百万、二百万、挙げて西蜀に攻め来ろうとも、蜀の天嶮、蜀兵の勇、これをことごとく屠るに、なんの手間暇が要りましょうや。丞相もし蜀の山川風光の美もまだ見給わずば、いつでもお遊びにおいでください。おそらくふたたび銅雀台にお還りの日はないでしょう」
どっちが威圧されているのか分らない。ずいぶん他国の使臣には会ったが、曹操のまえでこれほど思いきったことをいった男はかつて一人もいない。




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おもろー指数  ★★★★★